最近つまんなくない?
こんばんは、栗林です。
なんか最近つまんなくね?
って思ってるんですけど、どうですかね。
例えば次の日曜何しようかってなった時に、映画みる?なんちゃらの展覧会いく?買い物行く?遊園地いく?みたいなのあるじゃないですか。
そいつらって人を楽しませようとちゃんと作られたものだから、そりゃまあ楽しいは楽しいんですよ。
でもなんというか、デザインされすぎてるというか、入り口はここでこういう風に歩いてこういう風に楽しんでここから帰ってくださいね。
みたいな。
選択肢見せられてどれにする?って言われてるだけっていうか。
特に東京なんかだと人も多いし、そのみんなを楽しませようとしてるから、逆に誰が行ってもだいたい同じ経験になっちゃうっていう。
世界一周してる時も思ってたんですけど、有名な観光地とかもそうじゃないですか。
この街に行ったらこのお店行ってこの建物みてここからの景色が良くてって。
景色とかは自然が作ったものですけど、それでも有名でみんなが行く場所って結局同じ体験が繰り返されていく、し、みんなもある程度それを望んでるんですよね。
ガイドブックで見たあの景色が見れないじゃんとかあのメニュー今日ないの?とかなったらやっぱりたくさんの人は来てくれないから。
まあそれが悪いって言うんじゃなくて、そんだけたくさんの人が引き続き訪れるってのはそれだけの魅力があるってことだし、行ってみたいなって思って期待通りのものがちゃんとあるってのはすごく素敵なことだとは思います。
時間つかってなんかする以上落胆したくないし。
きっといろんな人がすごい努力して維持してるものだとも思うし。
でもなんか記憶に残ってるのってそういうもんじゃないと思うんですよね。
あ、でもスーパーすごいものはやっぱり心に残るとは思うんですけど。
スーパーすごいレストランとか(行ったことない)スーパーすごい有名観光地とか(ウユニとか)はたぶんスーパーすごいから100%受け身でもスーパー心揺さぶられるとは思います。
そういうのを除いたらやっぱり記憶に残ってるのってそういうデザインされた体験じゃなくて自分でなんかやったことだと思うんですよね。
金ないし時間もまあそこそこないし、そんなに一流のスーパーすごいとこばかり行けないから。
だから最近の休みは凧揚げしてます。
凧揚げ。
荒川の河川敷いって凧揚げる。
楽しいよ。凧揚げ。
おわり
「生産性」思考停止しているあなたと社会へ贈るコトバ
こんばんは、栗林です。
いま流行りのちきりん本読みました。
自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方
- 作者: ちきりん
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/11/25
- メディア: Kindle版
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要するにお前ら無駄なことしすぎ、生産性あげろやって本なんですけど、まあ全くもってちきりんさん言う通りだなあって思いました。
生産性あげたらゆとりもできるしスキルも磨けるしいいことまみれだよね!って。
この宇宙に存在している、あるいは存在していないっていう人は読んで損はないのかなって思います。
たしかに歴史は生産性の低いほうから高いほうへと変化してきたし、この先もそれが加速しながら進んでいくことでしょう。
そして生産性の概念を理解しない愚かな働き者たちは消耗しながら淘汰されていくのでしょう。
それが社会の大きな流れになることは愚かな怠け者の僕から見ても明らかだと思うんです。
でも、さ。
頭ではすごい共感してるし、その通りだなって理解してるんですけど、心が、おれのハートがそれでいいの?って問いかけるんですわぁ〜。
生産性あげてばっかでええのん?って問いかけてくるんすわぁ〜。
無駄なことも人生には必要とかそんな薄っぺらいこと言いたいわけじゃないんですけど、例えば、さ。
モノ作るのって楽しいじゃん?
折り紙とか泥団子とか好きじゃん?キッズはさ。
大人でもモノ作ったり手動かすの好きな人は多いと思うのよね。
知ってる人もいるかもしんないんだけど、木切ったり釘打ったりする仕事してんのよ、アタイ。
朝早いしダルいな、って思う時もあるし、くそつまんねーなこの仕事、って思うこともあるのよ。
でも、やっぱりモノ作るのって基本的には楽しい行為なのよね。
でもやっぱりくそだるいこと多いから、超越的存在にさあ栗林君あなたは今から完全に自由ですよって言われたところで、朝6時に起きて道具準備してさあお前んちの壁建ててやろうかとはならないわけっすわ。
それでも仕事だったら一応頑張れるし、その結果得られる楽しさってもんもあるんすわ。
いやまあどうしても頼むよって言われたらそりゃお前んちの壁くらいなんとかするけどさ。
で、さ。
生産性の話に戻るんですけど、正直大工の生産性なんてクソほど低いんですよね。
インターネットのサービスみたいに顧客が何千万人とはならないし、製造業みたいに工場で1日10万個とか作れないし、橋とかダムとか作る時みたいにクソでかい重機とか使えないし、周りの道路に囲まれた狭い土地のなかでなんとかかんとかマンパワーで頑張らなきゃいけないことが多い仕事なんですよ。
個人的には一番最後まで工業化しきらない領域が建築なんじゃないかと思ってます。
そんなに規模がでかくない建築の話ね。
でもそれゆえにまだ人が手で作る喜びが残されてるゾーンでもあるわけですよね。
上に書いたみたいに、趣味じゃなくて仕事で。
じゃあ大工の生産性が上がったらどうなるかっつったら、そりゃあロボットしかないっしょー!
10年でできるのか100年かかるかは分からないですけど、まあ近い将来ほとんど人工知能つんだロボットになりますわな。
そしたらさ、だるいなーって言いながらも楽しんでたおれらの楽しみとか幸せはどうなっちゃうん?
そりゃまあそこまでして手動かしたいんなら趣味でDIYやれよって言われると思うんですけど、そういう話をしてないだろ今は!
人なんてほとんどは弱くて怠惰で卑しい存在なんだから、さあお金もあげる時間もあげる君は今から自由よって言われたら87パーセントの人はベッドから出ません。
6パーセントはセブンイレブンに出かけてパン買うくらいで、5パーセントは自由に絶望して自殺して2パーセントくらいがほんとに自分のやりたいことを見つけてキラキラした人生を送るんです。
でもその2パーセントの人たちは、実は今この瞬間にもやりたいことをやってキラキラした人生を送っています。
!!!
とはいえ、仕事に子育てに介護に、現代の僕らにはまだまだ時間と余裕が足りないから、せめて次の日の仕事のことを気にしてセックスを断っちゃうような不幸をなくすくらいには生産性はあげなきゃいけないかもね。かーもね、はいっ!
でもこの生産性スパイラルを駆け上がった先に広がってるのは腹減ったらセブンイレブンでパン食って寝たい時に寝るだけの人生だよ。
さ、最高や〜〜〜〜〜〜〜
100年先も頑張れ、セブンアンドアイホールディングス!
おわり
みんな実際何考えて生きてんのよ。君の幸福論を聞かせて。
こんばんは、栗林です。
日々何かを考えながら生きているはずなのですが、自分でも一体なにを考えているのかわからなくなります、よね。
なりますよね。
まあでも全ての問いは突き詰めればなんで生きているのか、どう生きていくのか、の2点じゃないですか。
学生時代はなんで生きているのかばっかり考えていて、それでいて答えが出るはずもなく悶々とセックスばっかりしていました。
社会人になってからはそれよりもどう生きていくのかという比率が大きくなってしまい(悲しいことです)(でもそれが大人になるということです)、それでいて答えは出ないまま悶々とセックスをたまにするような生活です。
とりあえずそうやって生きてきました。
一応社会人ですし意識高いのでPDCAサイクルとか知ってるんですよ、僕。
所謂社会的な成功ってのは結局PDCAサイクルをいかにうまくはやく回せるかってことにかかってるじゃないですか。
その生き方が普遍的に善いことなのかはわからないですけど、この人間社会というジャングルの王者を目指して生きていくということは多分そういうことなんです。
そのためには悶々とただ考え続けてセックスしてまた考え続けるだけじゃなくて、どれだけクソみたいでも仮定を立てて、それに対して行動して、評価して、また行動するってことが必要なんです。
とりあえずまだ若いんで僕だってジャングルの王者に、今夜のパーティの主役に、ベッドの上の猛獣になることを諦めちゃいないんです。
だから圧倒的真実を求めて大破するんじゃなくて、局所的でもいいから答えをとりあえず出してから考えようって、そう思うんです。
それでとりあえず僕が考えたさいきょうのなんで生きてるかどう生きるか問題のはじめての仮定は「幸せになるために生きる」です。
そんなこと2000億回は言われて手垢水垢まみれの上に浅いこと沼の如しだとは思うんですけど、とりあえずそっからはじめようってことですね。
数学的に言えば、言えてないけど、仮の公理は定義できたんで、あとはそっから生き方という名の定理を導き出すだけってことになります。
どっかで矛盾が出てきたらそれは人生問題の答えにはなり得ないってことになるわけです。
みなさんご存知の背理ホゥですね。
それで、どうやったら幸せに生きることができるかっていう話です。
いつだったかどっかで「幸せってのは2種類あって、周りの人より上にいるって感じることができたときか、昨日より今日が、今日より明日がよくなるって思えたときのどちらかに感じるんです。」
みたいな話を読んでなるほどなぁって思いました。
なるほどなぁって思ったんだけど、じゃあ好きな人とセックスしてる最中、スポーツで激集中してるとき、そんなときってほんとは何より幸せじゃない?
って思うの。
わたし。
でもそういうときってその瞬間には幸せだなって感じることはできなくて、だって目の前のことに100パーセントだから、あとから振り返ってそう思えるだけなんですよね。
じゃあやっぱり幸せってなんなんだろって振り出しに戻るわけなんですけども、上の議論を踏まえた上での現状のぼくのまとめによるとやっぱり幸せは2種類あって、それを幸せA、幸せBとします。
Aは一般的幸せで、幸せであることをリアルタイムで実感できる種類の幸せです。
金があるとか、この先も給料あがっていきそうだとか、日々成長を実感するとかそういうやつです。
一方、Bは特殊的幸せで、自分が幸せだとそのときには実感できないタイプのやつです。
上にも書いたみたいに大好きな人とセックスしてる最中、夢中になって何かを作っているとき、スポーツにスーパー集中してる間、とか、そんなときのやつです。
今風に言えばゾーンに入っているとき、ということかもしれません。
そんな風に考えれば、幸せなはずなんだけど、なんだかなあって思ってるそこのお前!!!
お前が自分で自分のこと幸せだなあって思ってるのはAかBかどっちかが足りてないんじゃないの!?
ほんとの幸せはAとBが揃ってこそ感じられるんです。
たぶん。
よくドラマとかで言われる、妻がいて、子供がいて、会社での地位もまあまあで、幸せなはずなのに俺はこれでいいのかなみたいなサラリーマンいますよね。
お前のことだぞ。
結局彼には幸せBがないってことなんですよね。
100パーセントになれる何か、自分が自分を認識しなくなる何か、そんなものもやっぱり現代人にだって必要なんじゃないですか。
ある意味では幸せAは理性的幸福、幸せBは本能的幸福と言えるのかもしれません。
動物にはきっと幸せAはないだろうし、ものすごく理性的な人は幸せBを感じられないかもしれませんよね。
人間は自己認識とかいうことをできるようになっちゃったから幸せAが生まれて、それもきっとすごく大切なんだけど、そいつに振り回されちゃうと、僕たちの中の動物の部分がなんだかなぁって思っちゃうんじゃないかな。
結局バランスが大切ってことですね。
今日のまとめとしては、食事は1日3食バランスよく!です!
おわり
星の王子様に学ぶおっぱいの扱い方
栗林です。
星の王子さまって皆さんはご存知でしょうか。
知ってるか。
- 作者: サン=テグジュペリ,Antoine de Saint‐Exup´ery,河野万里子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/03
- メディア: 文庫
- 購入: 24人 クリック: 119回
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まあもちろんぼくも知ってました。
けど読んだことはなかったので東京駅のブックエクスプレスで買って新幹線の中で四半世紀生きてきて初めて読みました。恥ずかしながら。
頭でっかちな皆さんのことですからぼくと同じように知ってる知ってる〜と思いながら読んだことない人もたくさんいるでしょうからぼくが教えてあげます。
どういたしまして。
いえいえ。
そんなご丁寧にいいんですよ。
主人公、多分筆者であるサン=テグジュペリがそうなんですけど、は子供の心を忘れないちょっとめんどくさい飛行機乗りです。
どんなところがめんどくさいかというと、象を飲み込んだ大蛇の絵を書いて持ち歩いて、他の人に「それは帽子の絵でしょ?」って言われたらヘソを曲げてその人にはもう心を開かないというようなところです。
著作権とか怖いんでこれは僕が書いた象を飲み込んだ大蛇の絵ですが、まあこんなん帽子ですよね。
僕のは帽子にすら見えないですね。
ただこれが帽子にしか見えないようではテグジュペリに心を開いてもらえないどころか幸せな人生から遠ざかってしまうかもしれません。
だって
いちばんたいせつなことは目に見えない
からです。
物語に出てくるキツネが言っていました。
キツネがいうことは間違いないでしょう。
僕は25年生きてきて、一番大切なのはおっぱいかなあと悟り始めたところだったんですがどうやら違ったようです。
だっておっぱいは目に見えるから!
そんな飛行機乗りの彼が砂漠に不時着してしまい、遠い星から来た王子さまと出会うという話です。
細部は読んでもらうとして、僕がいいなって思ったキツネの発言だけ紹介しときます。
また結構いいこと言うんすよ、キツネが。
上に引用したのもキツネの発言なんすよ。
へへ、あれキツネが言ったんすよ。
キツネの物語ではないんですけどね。
故郷の星に1本だけ咲いていた大切にしていたバラと、地球に何千本もあるバラとの違いに気づいた王子様にキツネが言いました。
きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ。
自分にとって何かがかけがえのないものになるということは、その何かが素晴らしいとか特別だということではなく、自分がどれだけその何かに手間と愛情をかけたかということなのです。
だから、おっぱいそれ自体が一番大切なものではないということで、僕たちがどれだけ1つの、いや、1対のおっぱいに愛情を注げるかということがどれだけ僕たちにとっての素敵なおっぱいを作り上げられるかということなのです。
巷にあふれるおっぱいを数時間、時に数分で消費し続けるような生活はもうやめませんか?
かけがえのないおっぱいを手に入れませんか?
キツネはキツネのくせに僕らにそう語りかけてくるのです。
物語としても面白いですし、サラっと読めますし、それでいて多くの深い示唆に富んでいます。
ただその示唆は新鮮なものではなく、なるほどー!という感動というよりはそうだよな〜ってストンと胸に落ちるようなものです。
それは、僕たちも本当はわかってるからなんです。
1つのおっぱいを大切にし続けることが一番たいせつなことなんだと。
おわり
P.S. 先日婚約しました
みんなもっと人生について語らないの?
栗林です。
25歳です。
社会人1年目です。
東大出て大工やってます。
そんだけで特定されそうな気もしますけど、それもまたよしです。
東大出て大工って面白くね?っていう渋谷のギャルみたいなノリで人生歩んでます。
ウケる。
でもやはり毎日は単調で、輝く未来が待ってるのか全然わかりません。
そもそも輝く未来という存在があるんですかね。
いったいどうやって生きていけばいいのか、そもそも生きるべきなのか、悩む日々です。
それでも膨大な量の(10冊/年)自己啓発本を読み漁ることで、人生のおぼろげな輪郭くらいはつかめてきたような気がします。
人生とは、幸せになるということです。
人が生きると書いて幸せ、ですからね。
自分が幸せだと感じることをやる、だけ。
シンプルライフイズベストライフ
うんこみたいなブログ書いちゃった。
プリプリ
おわり
愛は世界を救うのか(救わないのか)
栗林です。
脳にもやがかかったような毎日なので、なんとかこの明晰な頭脳を錆びさせることなく後世に伝えていきたいと思いブログを開設しました。
ドラマチックラブと名付けたのには理由があります。
本当はありません。
でもドラマチックなラブより大切なものなんてこの世にはないかなと思って、ブログ界におけるドラマチックなラブのような存在になっていければ良いなって、ほんとはそう思うんだ。
ぼくとあなたでドラマチックなラブに満ちたファンタスティックなブロギングをしましょう!
以上!所信表明でした!
ブロギングとはブログを書いたり読んだり書かなかったり読まなかったりする活動を指す名詞です。